「魏志倭人伝」というと、あぁ昔習ったという人もいるでしょうけれど、その中に、倭の国の人の「文身」についての記述があるのよ。文身とは、今でいう「刺青」「彫り物」のこと。だから「魏志倭人伝」は、日本の彫り物に関する最古の文献ということにもなるのね。書かれたのは3世紀末、ちょうど弥生時代が終わる頃で、当時の人々の刺青事情が描かれています。

 それと、縄文時代や弥生時代の遺跡から発掘される土偶や埴輪には、文身が施されていることが多いそうよ。そして研究者は、「文身は、古代の人たちの生活や習慣に深く密接につながっていた」なんて言っているわ。

 でも、そんな知識とは別に、文身が施された土偶や埴輪を見ていると、私はいつも、古代の人々の祈りや願いに思いを馳せてしまうわ。呪詛、魔除け、護身、生贄、変身願望・・・。そうした生の息吹のような熱い情念が土偶や埴輪から立ち上がってきて、それらを肌で感じてしまうのよ。

 文身は、古代から連綿と継承されて、現在に至っているわ。中でも、江戸時代の中期には大流行して、庶民が競って肌に墨を入れるようになった。桜吹雪でお馴染みの遠山の金さん(遠山金四郎。実在の人)も、この時代の人よ。

 けれども刺青は、1811年(文化8年)に禁令とされ(=刺青禁止令)、さらに明治になって改めて「違式註違条例」として禁止とされたの(明治5年)。この禁令が解けるというか撤廃されるのは、何と、1948年(昭和23年)というから驚きだけど、つまり日本では、江戸、明治、大正、昭和の137年にもわたって、身体に彫りを入れることが重い罪となっていたのよ。

 でも、考えてみて。「刺青は悪風なり」とお上に決め付けられ弾圧を受けながらも、刺青は広く静かに連綿と続いてきたのよ。むしろ、そう否定され迫害される中で、いっそうその美と技を研ぎ澄ませ、確固たる芸術の形を築いてきたということね。

 罪科の危険もかえりみずに何故? それは、その時々の人々が、刺青・彫り物の放つ強烈な魔力に魅了され、自ら針を持ち、あるいは身体を差し出していったから、ということでしょう。私にはそれしか解釈のしようがないわね。

 刺青・彫り物は、人を虜にするの。それは、古代から現在に至るまで変わらない。私も、今なお妖しい輝きを放つ刺青・彫り物に魅了されているわ。




「魏志倭人伝」から

 男子は大小と無く、皆黥面文身す。古よりこのかた、その使の中國に詣るや、皆自ら大夫と称す。夏后小康の子、会稽に封ぜらるるや、断髪文身して以て蛟龍の害を避く。 今、倭の水人、好んで沈没して、魚蛤を補う。文身は亦以て大魚・水禽を厭う。後やや以て飾りとなす。諸国の文身各々異なり、あるいは左にしあるいは右にし、あるいは大にあるいは小に、尊卑差あり。その道里を計るに、当に会稽東治の東にあるべし。



 その風俗は淫らならず。男子は皆露かいし、木綿を以て頭に招け、その衣は横幅、ただ結束して相連ね、ほぼ縫うことなし。 婦人は被髪屈かいし、衣を作ること単被の如く、その中央を穿ち、頭を貫きてこれを衣る。 禾稻、紵麻を種え、蚕桑緝績し、細紵、ケンメンを出だす。 その地には牛、馬、虎、豹、羊、鵲なし。 兵には矛・盾・木弓を用う。木弓は下を短く上を長くし、竹箭はあるいは鉄鏃、あるいは骨鏃なり。有無する所、與耳、朱崖と同じ。

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